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四季バラが咲く [2008]

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今年も庭の四季バラが咲いた。
相変わらず細身で頼りないけれど
季節を知らせるかのように花を咲かせる。

祖父のために植えた四季バラだけど
祖父は見たのか、見なかったのか。。


ある時父方の祖父が我が家で一緒に暮らすことになり
小さな庭をつぶして、これまた小さな離れをつくった。

祖父が鹿児島からやってきたのは
祖母が亡くなって半年ぐらいしてからだったか。
おそらく1人では広すぎる田舎の平屋の家で
焼酎ばかり飲んでいたに違いない。

ついに自信がなくなったある日
突然、祖父は鹿児島を出た。

しばらくは子供たちの家を転々とし
もう鹿児島には帰らないと決心した時に
祖父は、長男家である我が家に離れをつくってくれ、と
コツコツと貯めたお金を渡した。

離れをつくった場所には
小鳥たちが中でゆうと遊べる大きな椿と
これまた見事な金木犀があって
それはそれは残念だったけれど、
祖母をなくして一人ぼっちの祖父を思えば
なんてことなかった。
少なくとも孫である私には。

その時に叔父がもってきてくれたこの四季バラを
祖父の離れの窓から見えるようたくさん植えた。

父は仕事に行っているし、昼間は話し相手がおらず
特に趣味もない祖父は新聞を読んだり、TVを見て過ごす。
慣れない土地で、何も言わずにひとりで散歩に出て
迷子になってパトカーで帰ってきたりもした。

祖父の唯一の楽しみが晩酌だったが
そうそう付き合えず、付き合えば付き合ったで
憂さを晴らすがごとく鹿児島弁で大声を張り上げる。
これにはどうしたものかと父も頭をかかえ、
母などは相当神経をすり減らした。

祖父は祖父で辛かろうと思い
時々買い物はないかとききにいくと
たいてい飴や板チョコを頼まれる。
孫にはいつもやさしい笑顔をみせた。

そのうち祖父は早く祖母のところへ行きたいと
そればかりを望むようになる。
次第に食欲も落ち、焼酎しか飲まなくなった。

この頃から少し体調を崩し、情緒も不安定になる。
身体中から緑色の膿が出て、自宅看護が難しくなり
病院へ入院するものの、大声で看護婦を怒鳴るので
他の患者の迷惑とのことで、すぐに追い出された。

仕舞いには好きな焼酎すら飲めなくなり
すべてを諦めたかのように祖父は急激に衰弱していった。
怒鳴る体力もなくなり再び入院する。

週末にはいつも父と見舞いに行った。
祖父はいつもぼんやりとしていたが
私たちを見つけると少しだけ微笑んだ。
拘束された骨ばった手足が実に痛々しく
それなのに表情は思いのほか安らかだった。

何度目かのお見舞いの時には
祖父はあまり意識がなかった。
強張った手足は硬直してとても冷たかったから
拘束された手をそっと握ると、祖父も握り返してきた。
おそらく無意識だったろう。

しかしあまりに力強く痛いぐらいだったので
ビックリして途中で手を離してしまった。
まるで何かと戦っているか?
それぐらいものすごい力だったから
今度はちゃんと握っていてあげようと思った。

そういえば弱ってゆく祖父を見舞いながら
父が祖父にあまり触れないことに気が付く。
二人の親子関係はかなり複雑だ。


そしてその翌日、祖父はあっけなく息をひきとった。
もう一度、手を握ってあげるチャンスは来なかった。
それがとても心残りだった。

でも祖父は念願かなって祖母のもとへ旅立ったのだろう、
よかった、よかった、そう思うことにした。


翌年、祖父の小さな離れの家を壊すことになり
久しぶりに祖父の写真を眺めに部屋に上がると
水兵姿のハンサムな若かりし祖父が微笑んでいた。

今は祖父が暮らした場所にキッチンがある。
そしてその窓からはやはり四季バラがよく見える。

祖父のために植えた四季バラ、
おそらく祖父は見なかっただろう。
でもやはり植えてよかった。
今でもこうして祖父が身近に思えるし。

あぁ。今日は少ししんみりだ。

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ゴーパ1号

私は祖父母と一緒に暮らした事がないので
家族としてのおじいちゃんおばあちゃんの存在ってどんななのかなって
ずっと気になっています。答えは出ないけど。
私の父方の祖父はのんべえで、父ものんべえで、私もしっかりDNAは
受け継いでいるようです。

by ゴーパ1号 (2008-05-18 14:25) 

春分

他人事ではないのだけども。
とりあえずうちの親は大人しい人であるし、今はいろいろ薬もあるし。
自分の二~三十年後を指し示すためにここにいてくれるのかな。
それにしても花はいいですね。いろんなことを思い出させる。
by 春分 (2008-05-18 19:12) 

タックン

こんばんは。
しみじみと読ませてもらいました。
お祖父様の寂しさ いらだち 悲しさ亡き父に重なります。
病気の母のため 不本意な気持ちのまま息子の元にやって
来ましたが 自分の場所ではない暮らしにいつもイラだっていました。 
最後はあきらめ・・・老いては子に従えかぁとつぶやいていたのを思い出します。
お祖父様が確かに生きていらしたことを思い出させてくれる 赤い四季バラ
とてもきれいです。
by タックン (2008-05-19 21:04) 

sakamono

少ししんみりと、しみじみとした話を読ませていただきました。当時は大変だったでしょうが、思い出が、美しい花とともに残っているのですね。自分の祖父母は、子供の頃に亡くなってしまったので、あまり思い出はないなぁ...
by sakamono (2008-05-20 08:32) 

asahama

しみじみとしました。
人間は必ずいつかは死ぬものだと思うと、考え込んでしまいます。

病院に関係する仕事をしていて、
日常的にこういった話に触れていますが、
「慣れる」ということは私には無理で、
やはりいろいろとしみじみしてしまいます。

by asahama (2008-05-21 22:59) 

po-net

>ゴーパ1号さん
私も祖父が越してくるまでは、数えるほどしか会ったことがなく
しばらくはどう接していいかわかりませんでしたねぇ。
でもやはり血のつながりがあるわけで、なんだか遠いようで
近い不思議な距離感を感じましたよ。
祖父の血を受け継いでいたら、お酒飲めたのになぁ~

>春分さん
庭のあれこれに色んな人の思い出がつまっていて
もしこの庭を離れることになったら、相当さみしかろうと
思ったりします。

>タックンさん
介護される側の苦しみが少しでも理解できれば、介護する側も少しは
楽になるのでしょうかしら。そう遠くない未来に私も両親の介護を
担うわけで、心の準備だけでもしておきたいと思う今日この頃です。

>sakamonoさん
私も母方の祖母は既におらず、祖父も小さいころになくなったので
あまり覚えていないですねぇ。
祖父の介護を終え、母はすっかり老け込んでしまいましたから
それだけ大変だったのでしょうか。私はちゃんと介護できるのかと
今から不安でございます。。

>asahamaさん
祖父が手足を拘束されたのは、身体につけられた管をあれこれ外して
しまうから仕方なかったのですが、それにしても痛々しい姿ですね。
日々、こういった患者と向き合う医療従事者の皆さんも、さぞ大変だろう
と思うのでした。asahamaさんも病院関係のお仕事なのですね。
色々と重たい話を聞いたりすると、なんとも1人では背負いきれない
時がありますね。いやいや、しんみりしちゃってすみませんデス。

>xml_xslさん、 nyanさん
niceどうもありがとうございます!
by po-net (2008-05-25 23:47) 

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